会長挨拶

ご挨拶に代えて

静岡県仏教会会長 石川 浩徳

紅梅 当会は、県下46市町村各仏教会2120ヵ寺が所属し、仏陀の教えに従って活動する僧侶の組織であります。命を尊ぶ仏教による戦没者慰霊祭、仏教徒としての自覚を高める大会の実施、互いに人格の充実を図るための研修会や講習会の開催等、伝統仏教教団各宗派の僧侶が手を携えて活動しています。
「人間はなぜこの世に生まれてきたのか」
何げなく日々を過ごす中で改めてこう問われると、なかなか答えはむずかしく永遠の課題であるとも言えましょう。長い苦行の末、悟りを開かれた仏陀は数多の教えを説かれましたが、その教えは、この問いを解明するためのものでした。過去現在未来の三世にわたる因縁を、種々の譬喩をもって、一切衆生に諸法の実相を説き明かしたのか経典となっているのです。
私たちは両親のお陰でこの世に生を受けました。その両親もその前の両親から命をいただきました。こうして遡っていくとご先祖にいきつきます。沢山のご先祖様の命を引き継いで私たちはこの世に生を受けることができたのです。同じ生き物でも動物や植物や虫たちも命においてはまったく平等でありながら、
人間として命をいただいたということは、人間でなければできないことを行うためであると、仏陀は教えられました。人間でなければできないこととは何でしょうか。それは、慈悲の行いであり、過去に遡って反省し、未来に向かって常に精進しようということでありましょう。それは私たちが仏陀のように福徳円満な人格者になり、この世に仏の世界をつくりあげ、最終的には誰も彼もが悟りを開いて成仏することであるということです。
「慈悲」とは、慈しみの心であり、思いやりの心であり、悲しみが分かる心であります。この心を行動に移せば、お互いに助け合い睦み合い、寄り添い合うということになりましょう。
ひるがえって現実に向けてみますと、これらの行為に反することがあまりにも多いのに気づきます。自己中心的で他人に迷惑をかけ、悲しませ、あげくの果てには命まで奪ってしまうということが起きています。慈悲の行いと全く相反する行為です。その最たるものが戦争です。人間同士が憎み合い殺し合う世界には慈悲はありません。
最近の日本の動きの中には、かつての戦争で体験した悲惨な歴史を忘れてしまっているのではないかと疑いたくなるようなことが起こっています。70年前の第2次世界大戦では国と国とが憎み合い殺し合い、領土を奪い合った結果、
3百万という人々の命が失われたのです。
戦前戦中の仏教会は、国策に加担した戦争翼賛団体になってしまっていました。仏陀の教えとはまったく掛け離れたものでした。敗戦後その間違いを強く反省し、本来の仏教精神に基づく、慈悲と平和と平等の教えを説き広める組織に変わり、新制仏教会として誕生したのが今の仏教会です。日本国民は、戦争の悲惨さと恐怖とむなしさを体験して、その反省から憲法で戦争を永久に放棄することを謳い、今日まで守ってきました。しかし最近になってその平和憲法がないがしろにされるのではないかと心配になってきています。
仏陀の教えは慈悲と平等と平和です。この教えに反する行為は仏の教えをいただく仏教徒は断じて受け入れてはなりません。仏陀の教えはこの世を浄土にすることにあります。人間はその実現に精進するために、この世に生を受けてきたのです。
仏教の教えの基本の一つに四無量心(慈・悲・喜・捨)があります。
みんなの幸せを心から願う「慈」の心、
みんなの苦しみや悩みを救おうとする「悲」の心、
他人の幸福を見て自分のことのように喜ぶ「喜」の心、
物事にとらわれない泰然とした広い「捨」の心
この四無量心を常に念じ、持ち、実行する心掛けこそ、人間として殊に仏教徒としてこの世に生を受けた使命であると思うのであります。
かけがえのない地球を守り、大自然とその中に生きとし生けるものを守るのは人間である私たちの役割であると思います。人間がこの世に生を受けたのはこの役割を果たすためであると、仏陀の教えから学びとりました。