会長挨拶
就任のご挨拶
静岡県仏教会会長 伊藤 正見
謹んで改歳のお慶びを申し上げます。
静岡県仏教会に所属する会員諸老師の皆様には、檀信徒はじめ広く一般社会に向けて、各寺日々檀務・祈祷や教化伝道され、また地域の仏教会の活動に心魂精進されていますこと、深く敬意を表すところです。
本年から伝統ある静岡県仏教会第三十五代会長を担うことになりました藤枝・志太仏教会の曹洞宗宗乗寺伊藤正見と申します。
従来、会長職には仏教界の象徴として、各宗派の重鎮のご住職が推載されてきました。図らずも私の如き非力且つ不徳の身で高席を汚すことになりますが、役員並に会員の皆様方のご法愛を仰ぎ仏法興隆と本会発展に尽力する決意ですので、何卒ご支援ご協力をお願い申し上げます。
さて就任初日、一月一日午後能登半島を襲った地震では、被災された多くの皆様に深甚なる哀悼とお見舞いを申し上げます。一日でも早く復旧復興され日常を取り戻されますよう心よりお祈りいたします。
私達仏教者にとって今、最も深刻なことは人々の宗教離れと後継者(寺檀共)の問題ではないでしょうか。例えば私事で恐縮ですが、昨年一檀家よりこんな手紙が届きました。『お尋ねします。息子が今年の正月、○○家(自家)の墓に入らないと言いに来ました。理由は自分の息子に引き継いでも、負担を強いることになるので承継しない。そして今年中に廃墓にするか決めてほしいとのことです。お寺ではどのようにお考えでしょうか。私は現在、今のお墓に入ることを望んでいます。もしそうなった場合は、今のお墓はどう維持すればいいのか、仮に維持が難しければ、どう対応すればいいのか教えて下さい。』と。
私達宗教に携わる者にとって大なり小なり前述のような経験をされたことがあるのではないでしょうか。各寺院では檀信徒の高齢化、過疎化、核家族化、人口減少、都市への人口流出、また墓終いという課題の中、さらに後継者の不在という深刻な問題に直面し、大きな岐路に立たされています。また現代社会に求められる仏教者の役割は何なのかが今、問われています。
釈迦牟尼仏、最後の説法にはこう述べています。
「仏垂般涅槃
略説
教戒経
」(佛遺教経)の最後に「自今以後、我が諸の弟子、展転して之を行ぜば、即ち是れ如来の法身常に存して而も滅せざるなり」。つまり私が去って後、私の弟子達よ、それぞれ私の教えを実行すれば、仏の法身(おしえ)は常に存在し滅することはないと言い終えて入滅されました。
私達仏教者は「慈悲」「自灯明法灯明」等の教えを実行し、釈尊の教えが世界中に流布され、すべての人類が、平和で安寧の日日が訪れますよう心より願っております。最後に拙偈を呈して私の就任挨拶といたします。
疎才不徳執塵暄
疎才不徳 塵暄に執し
貧道難酬佛祖恩
貧道酬い難たし 佛祖の恩
二夏何如勤要職
二夏 何如が要職を勤めん
只祈寧日費精魂
只寧日を祈り 精魂を費やさん